コラム 量子計算のコスト?

日付:2022-07-23 提供:Quantum Computing Report 翻訳:Hideki Hayashi


By Andre Saraiva, Diraq


 忙しい読者のために、まずはこの記事で取り上げることを目的とした質問に対する答えを簡略に紹介します。


Q:量子計算の値段は?


 必要なリソースは、1)量子ビットと、2)実行時間です。量子計算の単位は「量子ビット*秒」であるべきです。しかし、現時点では、量子計算サービスはそのような価格設定にはなっていません。

 量子ビットの数が多ければ、より少ないステップ数で計算を実行することができます。量子ビットの数と演算回数(または演算時間)を掛け合わせることで、必要なリソースの概算を出すことができます。


Q:何量子秒必要ですか?


 有用な量子計算の1回の実行には、1,000億量子ビット秒から5,000億量子ビット秒が必要です。ほとんどの有用な問題では、パラメータや変数をテストする必要があるため、将来的には量子計算ユニットがテラ量子ビット秒単位になるかもしれません。

 量子コンピュータは、クロックレートや演算の忠実度にばらつきがあるため、この数字は10倍以上の誤差が生じるかもしれません。これらの見積もりは、現在の最良の知識と、量子ビットの品質に関する一定の仮定に基づいており、楽観的ではありますが、現実的なものです。今後10年間、アルゴリズムや誤り訂正符号の改善により、正確な要件が大幅に改善されていくことでしょう。


Q:1qubit-second(量子ビット秒)のコストは?


 平均すると、現在(2022年6月)1qubit-secondは約0.05USドルです。現在の価格では、重要な問題(下記本文の例を参照)に対する量子コンピューティングキャンペーンには、100億ドル以上の費用がかかると言われています。

 このコストは、当然ながら、今後10年で非常に大きくスケールダウンすることが予想されます。この記事が提案する主な疑問は、10年後に1qubit-secondのコストがいくらになるのか、ということです。



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なぜ今、10年後の量子計算の価格を気にするのでしょうか?


 量子コンピューティングの市場は確かに興味深いものになっています。民間、政府を問わず、薬物設計、材料、サイバーセキュリティなど、数十億ドル規模の分野で今後起こるであろう革命に資本参加することを目的としています。量子アルゴリズムが生み出すユニークな可能性に賭けて、競争に勝ち残るために、消費者は喜んで高額な資金を支払うことでしょう。


 しかし、コンピュータ・シミュレーションで得られた知見を製品に反映させることは、時に困難であることを技術系企業は知っています。量子コンピュータの能力を研究開発に生かすために、企業がどの程度の予算を確保すべきかは、今のところ不明なまま。


 この記事では、クラウドベースの量子コンピューティングサービスの現在の価格設定と、量子リソース推定における最高の知識を組み合わせることで、有用な量子計算を1回実行するための価格は、世界トップの支出を誇る企業、Amazonの研究開発予算全体よりも高くなることを伝えます。


 つまり、量子コンピュータの競争は、量子ビットの質と量をスケールアップするだけでなく、コストをスケールダウンする競争でもあるのです。


量子コンピュータのリソースをどう計測するか?


 課題設定は比較的簡単です。量子コンピュータでは解けて、古典コンピュータでは解けない問題を例にとります。その問題を解くための最適なアルゴリズムを特定し、必要な演算の回数を数える。次に、必要な演算がすべて最小限の誤差で計算されることを保証するための誤り訂正プロトコルを特定する。これらを、クロックレートが設定された量子ビットアーキテクチャにマッピングします。


 その結果、総量子ビット数と総実行時間が推定されます。


 しかし、上記のような問題は、様々な分野の深い知識を必要とする非常に困難な作業になります。数量子ビットのNISQ時代の計算機に対しては、いくつかのコンパイルツールが開発されています。しかし、普遍的でフォールトトレラントな量子計算に依存するような大きな問題になると、コンパイルはいまだに手作業。


 未知数なものとして、動作の忠実度、量子ビット間の接続性、クロックレートなどの将来のハードウェア仕様があります。私たちは、工学的努力により、量子ビットが数百万単位で集積されたとしても、可能な限り最高の動作領域まで押し上げるという仮定に基づいて、これらを推定します。しかしこの見解は、あまり楽観的ではない科学者や技術者から異論が出るかもしれません。


 この記事では、99.9%の動作忠実度、1MHzのクロックレート、および2次元アレイに分散した隣接する量子ビット間の接続性を仮定しています。これらはリソース推定における研究者の間では一般的であり、理論的にはいくつかのアーキテクチャでこれらの数値を大幅に改善できます。しかし、これらはプロトタイプで実証されテストされているパラメータにおいてです。


 さらに難しい点として、将来の量子アルゴリズムが現在のものより大幅に効率化されるかどうかです。過去には、新しいアイデアを導入することで、100倍もの効率化を実現した例もありました。その意味で、今回の試算は誇張されたものかもしれません。


 最後の問題は、実際の量子ビットの空間分布と、フォールトトレラントな方法で最適に演算を実行する方法です。例えば、"A Game of Surface Codes: Large-Scale Quantum Computing with Lattice Surgery(ラティスサージェリーによる大規模量子計算)」。Daniel Litinski氏(現在、PsiQuantumに在籍)は、より大きな量子ビットのアレイを用いて、いかに少ないステップで演算を実行できるかを示しています。このため、量子計算の要件を表すには、量子ビットの数と実行時間の積が最適であると主張する研究者もいます(この記事の残りの部分を通じて、そのような主張の例を見ることができます)。


 以上の仮定によって、全ての量子計算リソースは、量子ビット秒単位で表すことができます。


有用な量子計算には、何量子ビット秒が必要なのか?


 有用な量子計算とは、量子コンピュータで古典コンピュータよりも大幅に高速に計算できる、関心ある問題そのものです。古典的なコンピュータに対して優位に立つために、最小限の量子計算リソースしか必要としない問題は、古典的なものよりも指数関数的に高速化した量子アルゴリズムを活用できるものと言えるでしょう。


 具体的には、以下のような例が挙げられます。


・薬物代謝を担う主要な酵素であるシトクロムP450(CYP)は、酸化を促進するメカニズムが不明であり、これをシミュレーションするためには、1,434個の論理量子ビットで78億回の演算が必要となります。

[Goings, Joshua J., et al. "Reliably assessing the electronic structure of cytochrome P450 on today's classical computers and tomorrow's quantum computers")]


 これだけの演算を行うには、各論理量子ビットに約9,745個の物理量子ビットが必要。これは、合計で1,090億量子ビット秒に相当します。


・2つの素数の2,048ビットの積を因数分解するために、量子コンピュータは14,238個の論理的量子ビットで約250億回の演算を必要とします。

[Gidney, Craig, and Martin Ekerå. "How to factor 2048 bit RSA integers in 8 hours using 20 million noisy qubits."]


 これは合計で432億量子ビット秒です。


現在、1qubit-secondはいくらなのか?


 現在ユーザは、クラウド上で量子コンピューティングサービスを購入することができます。しかし、現在のところ、価格は各ショットやジョブの開始コストとクラウドサービスの一般的な維持費が支配的であるため、量子ビットの数や実行時間(量子ビットは数回の操作で完全に崩壊するため、実行時間は現在非常に短い)に基づく価格設定になっていません。


 しかし、練習として、典型的な実行時間と各システムの既知の量子ビットの数に基づいて、このような価格を推定することができます。以下は、2022年6月の価格の例。


 IonQ、OQC、Rigettiの量子プロセッサへのアクセスを販売するAWS Braket、自社のプロセッサへのアクセスを販売するIBM、IonQの量子コンピュータへのアクセスを販売するGoogle Cloudが実践している価格を調べてみたところ、以下のようになりました。


 IBMは、27量子ビットのファルコンシステムへのアクセスを1秒当たり1.75ドルで販売しています。


 Rigettiは、同社の40量子ビットのAspen-11システムへのアクセスを、1秒あたり0.35ドル(1ショットあたりの実行時間を1msと仮定)で。


 Oxford Quantum Circuitsは、同社の8量子ビットのLucyシステムへのアクセスを、1秒あたり推定0.35ドルで販売しています(1ショットあたりの実行時間を1ミリ秒と仮定した場合)。


 IonQは、11量子ビットのIonQデバイスへのアクセスを1秒あたり推定1ドルで販売している(IonQ社のコンピュータは平均よりクロックレートが低いため、1ショットあたりの実行時間を10ミリ秒と仮定)。


 現在、1qubit-secondの平均価格は0.05ドルです。


 最も高価なシステムはIonQのもので、価格は推定0.09ドル/qubit-second(Google Cloudでの価格を考慮するとさらに高い推定値)。最も安価なのはRigettiのシステムで、現在の価格は1qubit-secondあたり0.01ドル弱。


 繰り返しになりますが、この価格では、有用な量子アルゴリズムの実行コストは、1回あたり数百億円となり、現実的ではありません。つまり、顧客に適正な価格を提供するためには、すべての技術がコストを大幅に削減する必要があるわけです。



将来の量子ビット秒のコストを予測し、量子コンピューティング市場の持続可能性を予測する


 我々は、様々なベンダーが提供する量子コンピューティングサービスの将来のコストに関する情報は見出せていません。しかし、ほとんどの量子ハードウェアメーカーが、量子プロセッサのスケールアップを現在の計画通りに進めると仮定すれば、そのコストを計算することは可能なはずです。


 焦点となるのは、もちろん変動費です。ユーザーが購入する必要のあるリソースの量が非常に多いため、クラウドアクセスの維持や、ハードウェア開発に伴うコストなどの固定費は強く希釈され、価格の大部分は、おそらく大規模で複雑なマシンの運用コストで決まると予想されます。


 もう一つの前提は、量子プロセッサに付随する古典計算が、プロセッサの大きさに比例してスケールしないことです。つまり、量子コンピュータがあるサイズに達すると、量子計算に付随する古典的な計算の価格は希薄になるということです。これは真実とはならないかもしれません。しかしほとんどの量子ビットメーカーが究極の量子コンピュータに対して抱いているビジョンなのです。


 例えば、希釈冷凍機は電気代が高く、消耗品であり、高度に専門化した量子エンジニアの注意を必要とします。何百、何千もの冷凍機を統合する必要がある量子コンピューティングのアプローチでは、初期コストがかかるため、1量子ビットの価格がどこまで下がるかが制限されます。これらの技術では、各冷凍装置に多くの量子ビットを統合することが、コスト削減と経済的競争力の強化につながります。


 具体的に言うと、冷凍機1台あたり1,000量子ビットを搭載できる技術では、先に述べたアルゴリズムを実行するために1万台の冷凍機が必要になります。冷凍機1台あたりの消費電力は約50kWなので、合計500メガワットの電力消費になります。これは、CERNの粒子加速器の平均消費電力の3倍にあたります。もし、1台の冷凍機に1万個の量子ビットを詰め込むことができれば、この消費電力は50メガワットまで下がり、世界最大のデータセンターに匹敵するようになります。


1回あたり数百ドル以上の計算機による研究を正当化できるほど懐の深い企業はそう多くはないでしょう。この高いコストと、量子的な利点をもたらす問題の範囲がやや限定的であることを合わせ考えると、複数の極低温装置を統合した高価なマシンを伴う量子ソリューションの市場は、一部の人が考えるよりもずっと小さいかもしれません。

 量子コンピューティングソリューションが本格的に持続可能な市場を形成するには、量子コンピューティングの価格が現在の提示価格から少なくとも100万分の1にまで低下する必要がありそうです。これは必ずしも大きな要求ではない。同様のコストのスケーリングは、半導体産業と各トランジスタの価格タグで経験済みです。


 まとめると、量子計算のコストとそれが市場の持続可能性をどう左右するかを考える必要があるということです。最終的には、量子ビット秒のバリエーションが標準になるかもしれませんが、量子コンピューティングのコストを抑えるための戦略についての議論は、どの技術に投資するかを決定する道筋をつけながら、今始める必要があります。

 さらに重要なことは、この数字を正しく把握するために、現実的で有用な問題とその現実的なコストに焦点を当てた、リソース見積もりの確かな科学が必要であるということです。根拠のない楽観論は許されません。




著:Dr. Saraiva

シリコンスピン量子計算やその他の量子技術における問題の理論的解決に10年以上取り組んできた。現在は、スケーラブルな量子プロセッサを開発するオーストラリアの新興企業Diraqの固体理論部門の責任者を務めています。